「掃除をするなら、徹底的にやらなければ意味がない」そう考える完璧主義な傾向は、一見すると美徳のように思えます。しかし、この思考が潔癖症と結びついた時、恐ろしいことに、部屋をきれいにするどころか、逆に汚部屋を生み出す原因となってしまうのです。潔癖症の人の頭の中には、理想とする「完璧に清潔な部屋」のイメージが明確に存在します。それは、まるでモデルルームのように整然とし、細菌一つ存在しないかのような空間です。そして、一度掃除を始めると、その理想に少しでも近づけようと、常人には理解しがたいレベルで作業に没頭します。床の雑巾がけは何度も繰り返し、家具は全て動かして裏側まで拭き、使った掃除道具も徹底的に洗浄しなければ気が済みません。このプロセスは、精神的にも肉体的にも極度に消耗します。週末の貴重な休日を丸一日使っても、完璧には程遠い。そんな経験を繰り返すうちに、心は掃除を始める前から疲れ果ててしまいます。「あの大変な作業をまたやるのか」と考えると、体が動かなくなり、掃除を先延ばしにするようになります。その結果、少しの汚れは「次の完璧な掃除の時まで」と放置され、物が散らかっても「掃除の邪魔になるから」と片付けない。完璧な掃除ができないストレスが、日々の小さな片付けさえも放棄させてしまうのです。百点満点の掃除を目指すあまり、結果的に〇点の汚い部屋で生活し続ける。この皮肉な状況は、潔癖症と完璧主義が作り出す深刻な罠です。この罠から抜け出すためには、「六十点でいい」と自分に許可を出す勇気が必要になります。完璧ではないけれど、昨日よりは少しマシ。その小さな変化を認めるところから、汚部屋脱出の道は開けていくのです。