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あるケースワーカーとゴミ屋敷の老人の物語
新人ケースワーカーの美咲が、初めて担当することになったのは、近隣からの苦情が絶えないゴミ屋敷に一人で暮らす、78歳の高橋さんだった。地図を頼りにたどり着いた家は、庭までゴミで溢れ、ドアを開ける前から強烈な異臭が漂っていた。何度インターホンを押しても応答はない。美咲は、名刺と「また伺います」と書いたメモを郵便受けに入れ、その日は引き返した。それから、美咲の粘り強い訪問が始まった。週に一度、必ず高橋さんの家を訪れる。ドアは決して開けてもらえない。それでも、「こんにちは、高橋さん。ケースワーカーの美咲です。お変わりないですか」と、ドア越しに声をかけ続けた。ある雨の日、いつものように声をかけると、ドアの向こうから、か細い声で「…うるさい」と返事があった。初めての反応だった。美咲は嬉しくなり、「雨が強いので、風邪などひかないでくださいね」と言って、その日も引き返した。そんなやり取りが数ヶ月続いたある日、美咲が訪れると、ドアが少しだけ開いていた。中から顔を覗かせた高橋さんは、痩せてはいたが、その瞳にはまだ力が残っていた。彼は、亡くなった妻の遺品を何一つ捨てられず、寂しさを紛らわせるようにモノを拾い集めるうちに、ゴミ屋敷になってしまったのだという。美咲は、高橋さんの話をただ黙って聞き続けた。そして、「奥様との思い出、大切にされているのですね。でも、このままでは高橋さんのお体が心配です。一緒に、思い出の品だけを整理しませんか」と、静かに語りかけた。高橋さんは、初めて美咲の目を見て、小さく頷いた。そこから、地域のボランティアや専門業者の協力を得て、片付けが始まった。思い出の品は大切に箱に収められ、ゴミだけが運び出されていく。全ての作業が終わった日、がらんとした部屋に差し込む光の中で、高橋さんは美咲に深々と頭を下げた。「ありがとう。あんたのおかげで、もう一度、人間らしい生活ができる」。ケースワーカーの仕事は、ゴミを片付けることではない。閉ざされた心に光を届け、人が再び前を向くための、きっかけを作ることなのだと、美咲は涙で滲む視界の中で、強く実感していた。